陽気なうつ病患者のブログ

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🪷スピリチュアル系 精神科医との出会い🌿

このわたしがついに
メンタルクリニックにいくことになった。

どんなところか想像もつかない。


それは閑静な住宅街の一角にひっそりとあった。
ふつうの一軒家の見た目。

入り口には東南アジア系のどこかの石像が置いてある。

チャイムを鳴らすと

「手指消毒をしてお入りください」
とだけ言われる。

(((え、どこからはいるの?玄関?)))

そろりと入ると普通の家だった。
玄関正面には見たことのない弦楽器が飾ってある。
受付はなく階段と白い扉がある。

恐る恐る白い扉を開くとリビングがあり
そのリビングを診察室として使用されているようだった。

奥に待合室があったので待合室へいく。

ソファに腰掛け、やっとこの異世界のような
メンタルクリニックという空間が現実味を帯びる。

もう後には引き返せない。
今週休んだあと、来週から働くためにどうすればいいか
このクリニックにどうにかしてほしい、藁にもすがる思いだった。

待合室ではヒーリング系の鈴虫の鳴声のBGMが響く。
季節を感じる余裕もなかったが、もう秋か…。

入室時にもらったアンケートを記入して待っていると
名前を呼ばれたので診察室に入る。


仙人のような腰の曲がった精神科医がいた。


今どういう症状に悩んでいて、どういう経緯だったのかを説明した。
このご時世にパソコンは使わず、カリカリと万年筆で丁寧に私の言葉をカルテに書き込んでいく。
(ので、ヒアリングだけでとても時間がかかった)


万年筆をカタ…と置き
手を組んで私をまっすぐ見てきた

「結論から申し上げますと、あなたはうつ病です。」

「仕事をすることは無謀ですので、明日から仕事は休んでください。診断書はわざわざ会社に持っていこうとか考えなくていいです。郵送で大丈夫。仕事の引き継ぎがとかも考えないでください。それをやるのはあなたの上司の仕事です。」


もしかしたらこれ私うつ病なのかな、と心のどこかで思っていたのかもしれない。なのでびっくりしなかった。
でもあらためて言われるとかなりショックだった。

キャリアに傷がついた。もう会社の中では「ヤバいやつ」と思われ続ける未来に違いない。とその瞬間は絶望した。

一方で、やっと誰かに「休め」と命令されたことに安堵した。仕事ができない言い訳を誰かがくれるのを待っていたのかもしれない。

治療プランを説明された。
・ゆっくり休むこと
  家事や頭が疲れることは一切禁止
  ほぼダラダラしてストレスをかけない生活
薬物療法
  当時処方された薬はアモキサンデパス

2-3ヶ月も休むことになるのか…
長いな…と思った

この時はまだこの治療が2年以上続くことになるとは思っていなかった。

わたし、うつになりました


わたし、うつになりました。


これは普通のOLをやっている
陽気な人間が、うつ病になったという
それだけのおはなし。

2021年の初夏、まだコロナに社会が翻弄させられていた頃、世の中の企業もまた勤務形態の変化やコロナにより対応が必要になった業務、人手不足等々、翻弄させられていた。

わたしの会社も例外ではなく、部署移動直後にコロナ対応の人員としてお仕事をする1人となった。

コロナの対応、本当に関係各所みんな頑張ってた。
誰もが夜遅くまで頑張ってた。わたしも。

帰り道を歩きながら寝るまでに何分でやることを済ませられるかを計算し、コンビニで残っている数品の中から食べるのに時間がかからなさそうな食品を選ぶ。

部屋に帰ると過去数日分の空のコンビニ飯の残骸が机の上にあり、食器は使い尽くしたままシンクで洗われることを待っている。

お風呂入らなきゃ。でも洗濯をしばらくしてないので替えの下着なんかない。

会社の携帯が鳴っている。

心が折れそうだけど、折れるわけにはいかない。
わたしよりずっと大変な仕事をしている人がたくさんいるのだ。
わたしよりずっと夜遅くまで仕事をしている人がたくさんいるのだ。
わたしは言われたことやってるだけで大した仕事してないじゃないか。

そんなんで心折れたら、弱い奴だってみんなから軽蔑されるに違いない。
そんなのいやだ。

会社に行くとわたしは「ものすごくいい人」だ。
頼まれたことは嫌な顔せず受け、相手が気を遣わないようにユーモアを混ぜながらケラケラと陽気に仕事をこなしていく。
私はみんなにとっていい人になりたかった。
そんなこと無理なのに。


自分で自分に課していったプレッシャーは莫大なものとなり、ついに心がボロボロになっていくのがわかった。

誰にも責められていないのに、何をするにも誰かに責められるのではないかと怯えるようになった。

パズルゲームのアプリをダウンロードし、そのパズルをやっている時以外、気が休まらなくなった。

月曜日がやってくる絶望を金曜日の夜に感じ、泣いていた。


自分でも訳がわからないまま自分が壊れていった。

人生でうまくいかないことなんてないと思っていたし、人にも物事にも仕事にも誠実に向き合ってきたつもりだ。そんなわたしがメンタルを崩すなんて思っていなかった。


きがつくと涙で前がみえず、業務ができない状態になっていた。

上司にしばらく休みたい旨を伝えたあと、
母に電話をした。

観葉植物や冷蔵庫の中の賞味期限間近の惣菜もほっておいてカバン一つで泣きながら独身寮を出た。

心底みじめな気持ちだった。

絶望の闇の中新幹線に飛び乗り、実家へ帰った。

見慣れた車が停まっていた。
母が迎えにきてくれた。

無言で車に乗り込んだ。

「おかえり」

母の前で泣くのはなんだか恥ずかしく、わたしはジッと泣くのを我慢しながら帰路についた。

翌日、母が近くのメンタルクリニックに片っ端から電話をかけ、当日診療を行っている病院へ行くことになった。